あなたの食卓に、この感動としあわせが届きますように・・・
そこはきっと至福のレストラン。

ヨーロッパンキムラヤの歴史

“近年、鯖江のパンがうまいという話をしばしば聞くようになった。文化の肥えた地というのは、 うまいパンをつくる才能を生むし、それを支持して育てるひとびとにも事欠かかないのである。”

 司馬遼太郎 「街道をゆく 越前の諸道 福井平野」 1981年 連載・週刊朝日より

福井県鯖江市にて1927年(昭和2年)に木村屋として創業いたしました、
株式会社ヨーロッパン・キムラヤは、おかげさまで今年85周年を迎えることができました。

【初代】 創業

石川県能登出身の初代 伍一 は、東京の木村屋で修業中関東大震災に遭い、着の身着のままに近い状態で鯖江に住む兄の元へとたどりつきました。 そしてその数年後、木村屋の暖簾でこの地にて創業する事となりました。(あんぱんを初めて鯖江の人に紹介した人として知られています。)
憲兵をしておりました兄の関係で、戦時中に東京の木村屋が軍に納めていた堅パンを、同様に鯖江三十六連隊にも納めており、現在も“軍隊堅麺麭”(軍隊堅パン)として焼き上げています。
そして、大正時代に流行した“玉子パン”もいち早く紹介し、当時から東京の雰囲気が味わえるハイカラな店として評判になりました。

【二代目】 新しいもの好きで数多くの商品を開発

二代目 欽一 は(画家の久里洋二氏と従兄弟になります)、人を驚かせるのが好きで芸術肌、探究心旺盛で、欧米をはじめ“パンのあるところへは何処へでも行く”と言って海外を修業して廻りました。そのパン職人としての情熱と、多彩でユニークな発想は、本場のパンは元より、“大福あんぱん”などの数多くの商品を開発して参りました。
特に本場ヨーロッパンのパンに大変刺激され、フランスパンの神様と呼ばれるレイモン・カルヴェル先生の直伝のフランスパン、またドイツ製パン学校で習得したドイツパンなどの紹介もいち早く始めています。
パンの紹介だけで終わるのではなく、おいしいパンの食べ方やパンに合う料理までも自ら作って鯖江の人に本場ヨーロッパのパンのおいしさを伝えたいという想いは、いつしか、司馬遼太郎氏にも伝わり、「街道をゆく」の越前の諸道の中で「近年、鯖江のパンがうまいという話をしばしば聞くようになった。」と書かれています。
また、草月流家元の勅使河原宏氏と交流を持つようになってから、さらに影響を受け、お抱え料理人としてパリに同行したり、持ち前のキャラクターから映画に出演までするようになりました。 これらはすべておいしいパンを作るための糧となっていきました。
それから、毎年のように訪れていたフランスで約20年前、パリの製パンの展示会で一目惚れした“フェルメント ルヴァン”をいち早く購入し、自然発酵種(天然酵母)を用いたパン作りにも取り組んで参りました。

【そして現在】

こうしてヨーロッパンキムラヤのパンは、東京の木村屋の技術を礎とし、伝統的なヨーロッパの製パン法を融合させた独自の製パン法でつくられています。

そしてそれらを引き継ぎながら、三代目が務めるヨーロッパンキムラヤは、日々“何百世代も受け継がれてきたパン職人の想い”を心に留めながら、新たな創造と研究のもとでパンづくりに励んでいます。その毎日100種類を超えるパンは、夏にはツタの葉で覆われるヨーロッパ調のパン工房から、職人の真心を込めた手づくりのもと、パンの喜びの拍手のなかで焼き上げられています。

初代の頃の写真

初代の頃の写真

二代目欽一

二代目欽一

初代の頃の写真

昔のアトリエ

現在のアトリエ外観

現在のアトリエ外観

キムラヤ外観